2012年1月27日金曜日

極私的2000年代考(仮)……ジョン・ケイル、語る。

ルー・リードの軌跡を追うことは、すなわちロックンロールの歴史を辿ることを意味する。同じようにイギー・ポップの軌跡を追うことはパンクの、デヴィッド・ボウイの軌跡を追うことはポップ・ミュージックの歴史を辿ることを意味する、と言えるかもしれない。だとした場合、ジョン・ケイルの軌跡を追うことははたしてどんな歴史を辿ることを意味するのだろう。

ロンドンの大学でクラシック音楽の修士号を取得し、ニューヨークに渡りトニー・コンラッドやラ・モンテ・ヤングと親交を深め現代音楽の世界に没頭した後、1960年代中頃にルー・リードらと共にヴェルヴェット・アンダーグラウンドを結成。脱退してソロとして活動を始めた彼は、ストゥージズやパティ・スミスのプロデュースを手がける一方、様々なレーベルを渡り歩きながら音楽表現のフォーマリズムに挑戦する野心的な作品を数多く発表してきた。そうした彼の創作活動の多くは得てして「実験的」と形容されるものだが、しかしその内実は、現代音楽からロックンロール、エレクトロニック・ミュージック、クラシック、オペラ/モダン・ダンスに至るまで、縦横無尽にジャンルの垣根を越え、アプローチも即興/インストゥルメンタルにヴォーカル・スタイルと多才を極める。その様子・道程は、まるで「音楽」と言うものが持つ可能性を探る旅のように思索に溢れて深遠なものだ。

ヴォーカル・アルバムとしては7年ぶりとなる新作『ホウボウサピエンス』は、そんな彼の「音楽の探求者」たる資質を存分に堪能できる作品である。共同プロデューサーにレモンジェリーのニック・フラングリンを迎え、これまでの彼の音楽体験を集大成したかのようなクラシカルでモダンな音楽世界が展開されている。彼の中にあるシンガー・ソングライターとしての正統的な魅力と、実験音楽家としての先鋭性がバランスよく、かつポップなかたちで音像化された作品と言えるだろう。近年は寡作の傾向にある彼だが、一昨年には同郷ウェールズのスーパー・ファーリー・アニマルズの『リングス・アラウンド~』に参加、さらには来日公演も果たし、また今年はグラストンベリー・フェスティヴァルのヘッドライナーを務めるなど精力的な活動を見せている。今もっとも“脂が乗っている”齢62歳の稀代の音楽家の動向に注目したい。


●ふだんもこんな早い時間(インタビュー時、NYは朝の6時)から起きていらっしゃるんですか?
「いや、いつも起きるのは大体6時半だから、30分は早いね」

●そうでしたか。わざわざ早く起きていただいて、恐縮です。
「いや、いいんだよ」

●さて、早速ですが新作の『ホウボウサピエンス』を聴かせていただきまして、まず感じたのは、サウンドやあなたの歌声にみなぎるアグレッシヴな躍動感です。
「なるほど」

●ご自身ではどう評価していますか?
「いい雰囲気の作品が作れたね。とても満足しているよ。今回は、最初はニューヨークで作業を始めて、それからロンドンへ持っていって完成させたんだ。レコーディングそのものはニューヨークで済ませていたのだけれど、その素材を持ってロンドンへ向かう時には、このアルバムが自分と切り離せないもののような気がしていた。どちらかというと、近づきすぎていたといったほうが正しいくらいでね。そこで、客観的にこのアルバムを見て、ミックスについてアイディアを出してくれる人が必要だと思うようになって、誰かやってくれる人がいないかと、探して回ったんだ。ミックスは、このアルバムにとってはとても大事な要素だった。なぜ大事だったかというと、レコーディングした素材を、もっとシンプルにしたかったからなんだ。レコーディングしたときの素材のままでは、いろいろな要素が詰め込まれすぎている気がしてね。それで、結局(※レモンジェリーの)ニック・フラングレンに頼むことに決めたんだ。僕は作業を早く進めるのが好きなのだけれど、ニックもとても仕事が早くてね。だから、彼の仕事ぶりにはとても満足しているし……元の素材から何を削って、何を残すかを、彼に決めてもらったところもある。ニックに手伝ってもらえて、とても助かったよ」

●今回はニック・フラングレンが共同プロデューサーとして名を連ねています。彼とはどうやって知り合って、こうして参加してもらうことになったんでしょうか?
「彼にはミックスを手伝ってもらったんだ。レコーディング自体は、ニューヨークで僕が1人で済ませてしまっていたからね。今回のアルバムは、僕が実際に演奏したものがほとんどなんだ。一部、ギターだけは例外的に他の人にやってもらった部分もあるけれど。それで、ニックに頼んだのは、レモンジェリーの曲を聴いてみて、どこかこう、曲の世界に引きずり込まれるような感じがするのが気に入ったからなんだ。それに、音楽に対するアプローチの仕方が、とてもイギリス的なのもいいと思った。ニューヨークでレモンジェリーを聴いているだけで、僕は紅茶をいれてクリケットの試合を見たい気分になってしまう(笑)。それで声をかけたんだ。実際に一緒に仕事をしてみて、彼に入ってもらったのは正解だったと思うよ。いい人選だったね」

●なるほど。それと、今作はヴォーカル・アルバムとしては96年の『ウォーキング・オン・ローカスツ』以来7年ぶりの作品になるわけですが、そのことに関して特別な思い入れのようなものはありますか?
「いや、思い入れというより、突然何かが起きたという感じなんだ。あれは確か1年半ほど前で……いったい何だったのかは、今でもはっきりしないけれどね。でもそれがきっかけで、僕のソングライティングに対する考え方がまったく変わってしまった。それどころか、自分の中にある創造性にどう接していくか、歌詞をどうやって書いていくか、そういうところさえすっかり変わったといってもいい。それから1年半の間にも変化があって、曲作りをしていくうちに勢いがついてきて、曲が次から次に湧いてくるようになっていった。そして、スタジオで作業をするのが自分でも楽しくなってきたんだ。こんなことは、ずいぶん長い間なかったんだけれどね」

●その、1年半前に曲作りを始めた時には、具体的なコンセプトというのはあったんでしょうか? 今作は、あなたの中にある、シンガー・ソングライターとしてのクラシックな部分と、実験音楽家/サウンド・クリエイターとしてのモダンな部分がバランスよく、かつポップなかたちであらわれた作品だと思ったんですが。
「できるだけ、さまざまなムードを表現してみようとは思っていたね。そもそもどうしてそういう気になったかと言えば、曲ごとに違ったグルーヴを出したかったからなんだ。そういったアイディアは、僕にはロンドンに住んでいて、DJをやっている友達がいて、彼からヒントを得た部分が大きいね。彼はディミトリ・ティコボイといって、DJのほかにトラッシュ・パレスというバンドもやっている。彼のレコードを聴いて気に入ったのが縁で、ときどき僕にグルーヴのアイディアを送ってきてくれている。でも、ディミトリはDJで、ミュージシャンではない。だから、彼のグルーヴはドラマーが創り出すものとはまったく趣が違うんだ。なんだか、とても奇妙なところがあってね。それで、僕も、どんなアイディアが送られてきても、なんとか工夫して使えないものかと試行錯誤するようになった。変だと思っても、これはだめだ、という決断をすぐには下さないようになったということだね。この不思議なグルーヴが、どんなふうに曲に生かせるか、じっくり取り組むようになったんだ。その甲斐はあったよ。おかげで、今までとは違う新たなものを作れるようになったわけだから」

●今作はあなたのヴォーカルを軸にさまざまなスタイルの音楽が展開された「ポップ・ミュージック」としての全体像を描きながら、その細部にはあなたの本領とも言うべきさまざまな「エクスペリメンタル・ミュージック」としての要素がフィードバックされていて、作品に奥深い世界観・スケールを与えている。そういう今作を聴きながら、どこか集大成的なものも感じたのですが、あなた自身はいかがでした?
「いや、君が感じた、僕の音楽の中にある実験的要素というのは、僕にとっては捨て去ろうとしてもできないものなんだよ。僕が興味を持って取り組んできたのは、即興演奏と音楽を使った実験だからね。今回のアルバムに入っている曲にしても、最初に手をつけた時には、どんな曲になるかなんて想像もつかなかったものばかりだよ。どの曲も1分1分、細部に至るまで、とてもゆっくりと時間をかけていいって、だんだんと曲のかたちが明らかになっていくという、そういう作り方をしたんだ。曲のパーツをたくさん書きためて、時間をかけてその中から選んでいって……そうしているうちに突然、ヴォーカルのアイディアや、詞が浮かんできた。だから、ギターを抱えて、一から作曲した曲はほとんどないよ。実は、今回のアルバムの中で、部屋で机の前に座って、『さあ、曲を作ろう』と思って一から書いたものなんて、1曲しかないんだ。その曲が“シングス”だけれど。他の曲はみんな、スタジオで即興をしているうちにできたものだよ。だから、曲が自然に発展していったし、すべてが有機的につながっている。メロディにしても、歌詞にしても、すべて曲を作っていく過程の中で、自然に生まれてきたものだからね」

●ところで、一昨年前ぐらいから昨年にかけて、あなたがトニー・コンラッドやラ・モンテ・ヤングらとやられていた60年代のドローン/ミニマル・ミュージックの音源がリリースされたこともあり、「実験音楽家」としてのジョン・ケイルを再確認する機会が多かったのですが……。
「なるほど」

●あなたの創作活動の中で、そうした前衛的な音楽アプローチと、今作のようなヴォーカル・スタイルの音楽は、どのような関係性にあるのでしょうか?
「まあ、僕の場合、そもそもこの世界に入ったきっかけが実験的な音楽だったわけだからね。最初にニューヨークへ来た時には、そういう音楽をやっていたわけで。だから、実験的な部分は、すでに僕という人間の一部になってしまっていて、僕の作る音楽からそういう要素がなくなることは、これからもまずないだろうね。それに、バンドを組んで、ツアーに出るような時はいつも、メンバー全員、即興演奏ができるような形式にしておくというのが、僕にとってはとても大事なことなんだ。というのも、ツアー中、ミュージシャンに機嫌よく演奏してもらいたかったら、毎晩同じことをやらせないのが一番だからね(笑)。そんなことが続いたら、そのうち気が狂ってしまう」

●ただ、あなたの場合、そうした前衛的な音楽に関するバックグラウンドがある一方で、今回のアルバムのようにヴォーカル・スタイルの音楽をリリースしたりもしているわけですよね。この2つというのは、まったく別種の音楽として住み分けがされているのか、それとも共通の音楽的な関心の延長線上にある、同列のものとしてあるのか、どちらなんでしょうか?
「うーん、そうだな……ライヴの時には、その両方がでているんじゃないかと思う。ライヴ・パフォーマンスをやっている時は、長い間やってきた曲をまた再現するわけだけど、そのままやるわけではなくて、どこかアレンジし直して演奏しているからね。で、アレンジし直す、一番いいやり方は、即興を生かすことなんだ。でもそれには、一緒にやっている人たち、バンドとの信頼関係がないと成り立たないわけだけどね」

●ところで、ヴォーカル・アルバムを作ることは、あなたにとってどんな得難い魅力がありますか?
「それは、やっぱり自分の思いを投影できるということかな。インストゥルメンタルの場合は、やはり歌が入ってるアルバムのように、パーソナルな感じには成り得ないところがあるからね。歌があれば、人の声や歌っている内容に、聴いている側も共感できるわけだし」

●あなたにとってインストゥルメンタル・アルバムとヴォーカル・アルバムというのはまったく別物なんでしょうか?
「だと思う。インストゥルメンタル・アルバムでは、ヴォーカル・アルバムと比べて多少抽象性が高くなるんだ。歌が入ると、内容がどんなものであれ、歌っている人の声というものが確実に聞こえるわけなんだよ。でも当然、インストゥルメンタルだと人の声は入らない。人は誰かと会うと、ごく自然にその相手に話しかけてしまうものだけれど、インストゥルメンタルにはそういう要素はない。だから、曲を聴くということを人との出会いに例えるなら、人の声で話しかけてもらったほうが、楽器の音で語りかけられるよりも、人間らしい感じがするということだよ。ただ、さっき話が出た、トニー・コンラッドやラ・モンテ・ヤングと組んでいたころのアルバムは、とても昔の作品だからね。僕がニューヨークにやってきて、最初に手がけた、実験音楽の作品だから。だから、60年代という時代そのものが如実に反映されている。とにかく即興ばかりで構成されているという点でね」

●では、今のあなたはインストゥルメンタル・アルバムとヴォーカル・アルバム、どちらを作りたい気分ですか?
「作るならヴォーカル・アルバムがいいね。今は、言葉というものを使っていろいろやってみるのが楽しいから」

●なるほど。ところで、今ご自身からもお話があったように、あなたがこの世界に入ったきっかけは、アヴァンギャルド・ミュージックやフリー・ジャズとの出会いがあるわけですよね。
「そうだね」

●では逆に、あなたがヴォーカリストとして、あなたの原点と言える作品やアーティストを挙げるとするなら、誰、あるいは何になるでしょう?
「ヴォーカリストとして? だとすると、ボブ・ディランはやっぱりすべての原点にあるね。誰でも曲を書くようになった、その口火を切ったのが彼だったわけだから。そして、ずっと精力的に活動を続けてきたわけだし」

●他には?
「まあ、やっぱりボブ・ディランがあまりにも大きいのだけれど……もちろん、ジョン・レノンもとても影響力があったね。それから、最近だとベックにも影響を受けたし、あとは……レディオヘッド」

●レディオヘッドなんて聴かれるんですか?
「そう、レディオヘッドとベータ・バンドは気に入っている。曲の書き方が他のアーティストとまったく違っていて、そこが好きなんだ。曲の構成が独特で、興味をそそられるね」

●他に興味を持たれている、比較的若手のアーティストはいますか?
「そうだね、エルボーとか……ベータ・バンドに……それから、デイヴ・マシューズ・バンドは昔からずっと好きだね。いい曲を書くと思う。今度出るソロ・アルバムはまだ聴いていないんだけど、楽しみにしているよ。それから、ベックはどのアルバムもいいね」

●そうですか。ところで、これまであなたは共演者やプロデューサーとしてさまざまなヴォーカリストと接してこられたわけですが、自分で「ヴォーカリスト:ジョン・ケイル」をどう評価しますか?
「自分のやっていることを客観的に評価するのは、とても難しいことなんだ。自分の人格と切り離せなくなっているものを見なくてはいけないわけだからね。ただ、今度のアルバム用に曲を書いていた時にめざしていたことの1つに、楽器やバッキング・トラックによってムードを創り出して、僕が歌詞で訴えたいと思っていることをさらに強めるということがあったんだ。時には、歌詞で直接的に言っていないことでも、バックに鳴っている楽器のサウンドで伝えられることもあるからね。でもやはり、自分のヴォーカルについて客観的に話をするのはすごく難しいな……曲ごとに、ムードを創り出そうとしたとだけは言えるけれど。それぞれに、違った雰囲気が出るようにしたんだ」

●その、違ったムードを出すという点にこだわったのはなぜなんでしょうか?
「いや、僕はとにかくすぐに飽きてしまうたちなんだよ。同じことをやっているとすぐに我慢できなくなってしまうというか……僕はそういう人間なんだ。何か1つ音を創り出しても、すぐにまた別のサウンドを見つけてしまう。で、そのサウンドがかたちになると、また別のサウンドが浮かんでいって、気がつくと、いつも今までとはまったく別の地点に到達してしまっている」

●なるほど。では最後に、あなたの音楽にとっての最終的なゴールとは何か、聞かせてください。
「うん、まあそれは、今回のようなアルバムをこれからも作り続けていくということだね。今回は、作っていてとても楽しかったんだ。僕のこれからは、ツアーをして、レコーディングをして、またツアーに出て、レコーディングをして、という、この繰り返しが基本になっていくと思うよ。で、それがちっとも苦痛じゃなくて、むしろ楽しいんだ。僕は仕事を早く仕上げるのが好きで、スタジオでも作業は早い。スタジオにこもりきりになるのはあまり好きじゃないんだ。このアルバムを作った時も、1日3時間以上スタジオにいたことはなかったよ」

●そうだったんですか。
「まあ、敢えてそうするように、自分に課したところもある。一度、とても限られた時間しかないのだけれど、映画のサウンドトラック用に曲を書いてくれないかと頼まれたことがあってね。それで僕は、これをどれだけ短期間で曲を作れるか、試す機会にしようと決めたんだ。曲と言っても、映画用のスコアだから、それなりに作業はたくさんあった。でも結局、スタジオを使った期間はたった3日だけでその曲は完成したんだ。1日目は基本的な構成を練って、2日目に楽器やバッキング・ヴォーカルの音入れをして、3日目に最終的な仕上げをして、できあがりだよ。こんなふうに、できるだけポイントを押さえたやり方をしていきたいんだ。僕はどちらかというと、外の空気を吸うのが好きな方だから、長い間スタジオに閉じこめられているのには耐えられないね」

●それともうひとつ最後に。これはファンを代表して伺いたいのですが、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの再々結成は、将来あり得ると思いますか?
「それは……君ももちろん知っているはずだけど、メンバーの1人が亡くなっているんだ。だからもう絶対無理だよ」

●そうですね、失礼しました。
「じゃあ、これで失礼するよ」



(2003/08)

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