2011年1月26日水曜日

極私的2000年代考(仮)……シットゲイズもしくはノーファイについて(So Bored !)

いわゆる「シューゲイザー」や「ローファイ」云々と一括りされるようなノイジーなサウンドは、インディーズにおけるひとつの定番であり常套手段である。ジーザス&メリー・チェインやマイ・ブラッディ・ヴァレンタインの登場、あるいはベックやセバドーらオルタナティヴ勢の台頭で注目された1980年代末~90年代以降も、ブームや流行廃りに関係なくその類のサウンドは、この20年近くのあいだ不滅のジャンルとして脈々と永らえてきた。また、その意匠やコンセプトを引用・参照したり、メタ/サブ・ジャンル的に派生したケースにいたっては、もはや枚挙に暇がない。

しかし、2000年代も最初の10年が幕を閉じようとしている現在。シューゲイザー/ローファイは、インディーズにおける新たなタームとして再浮上しつつある。


シューゲイザーは、“ネオゲイザー”や“ニューゲイザー”という呼称が聞かれ始めた2000年代の中盤あたりから、ローファイに関していえば、ブラック・ダイスやアニコレが、ディアフーフやシュシュが頭角を現し始めた2000年代初頭のブルックリン/西海岸のアンダーグラウンドに(あるいは、それこそ初期のホワイト・ストライプスら“ロックンロール・リヴァイヴァル”にも)、その萌芽はすでに散見できた。しかし、いま各所で活発な動向を見せ始めたシューゲイザー/ローファイは、それらとは異なる背景や文脈から登場した現象のように思われる。

その再浮上(再評価)の経緯を端的に指摘するのは難しい。なぜならそれは、シーンやムーヴメントと呼ぶにはまだ輪郭の曖昧な“兆候”にすぎず、またそこには、後述するようにさまざまな“因果関係”が複雑に絡み合っていると思われるからだ。が、あえてこの新興勢力としてのシューゲイザー/ローファイのシンボルといえる存在を挙げるとするなら、それは間違いなくノー・エイジではないだろうか。


ノー・エイジは、ロサンゼルスを拠点に活動するバンドで、Dr&Voのディーン・アレン・スパントと、Gのランディ・ランドールからなるデュオ。前身にあたる地元のハードコア・パンク・バンド、ワイヴスを解散後、2005年に結成された。2007年に、それぞれ異なるレーベルから発表された5枚のEP/シングルをコンパイルしたアルバム『Weirdo Rippers』をファットキャットからリリース。そして昨年、サブ・ポップからリリースされたデビュー・アルバム『ノウンズ』は、年間ベストの3位(TV・オン・ザ・レディオ、ディアハンターに次ぐ)を付けたピッチフォークを始め、ローリング・ストーン誌やNMEなど主要音楽メディアで高い評価を獲得し、彼らの名前は一躍知られるところとなった。

ハードコア/ポスト・ハードコアを基点に、ガレージ・パンクやグランジ、サイケデリック~アンビエントからライトニング・ボルト周辺のノイズ・ロックまで凝縮したサウンドは、轟音に塗れながらもポップにもフリーにも振り切れる絶妙な奥行きを披露するものだ。手触りはローファイそのものだが、アンサンブルは驚くほど展開力と構築性に富み、クラシックなロックの王道感もたたえている。初期のEPの時点では、その出自に拠って立つ部分がまだ大きかった感もあるが、『ノウンズ』では音楽的な射程を格段に増した。オルタナティヴ以降のUSインディーズの「コア」を、その旺盛な手数でさらに煎じ詰めるようにたたみ掛けるダイナミズムが醍醐味である。


ノー・エイジをシンボルに挙げる理由は、そのサウンドによってのみではない。彼らについて語る上で外せないのが、その活動のホームでありバックグラウンドといえるロサンゼルスのダウンタウンに構えるDIYなアート・スペース「ザ・スメル」()。そしてディーンが主宰するレーベル「PPM(Post Present Medium)」。その周辺に集う顔ぶれが、目下のシューゲイザー/ローファイに象徴されるインディーズの時代性を象徴しているようなのだ。
ディーンいわく「僕らのCBGB」というスメルをホームとするミュージシャン/バンドは、ノー・エイジを筆頭に、昨年キル・ロック・スターズのショーケースで来日したミカ・ミコ、エイヴ・ヴィゴーダ、ヘルス、シルヴァー・ダガーズ、ラヴェンダー・ダイアモンド、バー(Barr)、ガン・アウトフィットなど、一般的な知名度はまだそれほどでもないが近年頭角を現しつつある名前が少なくない。ゲストも含めれば、フガジのジョー・ラリーを始め、ギャング・ギャング・ダンス、アリエル・ピンク、フット・ヴィレッジ、新鋭ストレンジ・ボーイズやナイト・ジュエルなど、その数はかなりに及ぶ。

そして、PPMが擁するのは、共にデビュー・アルバムをリリースしたエイヴ・ヴィゴーダとガン・アウトフィットらスメル組に加えて、ブラック・ダイスのエリック・コープランドやライアーズ(ノー・エイジとスプリット7インチを発表)、要注目サンディエゴのウェーヴス(Wavves)など。さらに、『New Video Warks』なるDVDコンピ()に収録されたメンツも含めれば、ディアハンター、ハイ・プレイセズ、ジャパンサー(サーストンも共演)、ラッキー・ドラゴンズ、ポカハウンテッド、ソフト・サークル(元ライトニング・ボルト/ブラック・ダイスのヒシャム)、シュシュなど、そこにはUSインディーズを縦横軸で横断するような錚々たるコネクションが広がる。

無論、ここに挙げられた名前を一概に音楽性で一括りにすることはできない。エイヴ・ヴィゴーダのトロピカルなジャンク趣味。ミカ・ミコのライオットガールな狂騒。ガン・アウトフィットの硬質なハード・ロック。ウェーヴスのフリークなサーフ・パンク。ヘルスのハーシュなディスコ。ラッキー・ドラゴンズのトイトロニカな雑音遊び。ストレンジ・ボーイズの無邪気なガレージ・パンク。エリック・コープランドのドープなコラージュ。ポカハウンテッドのアヴァンギャルドな無間サイケ……そして、ノー・エイジの凝縮された「ロック」。サウンドの趣向はさまざまであり、個々が拠って立つ音楽的なバックボーンも多分に異なる。
しかし、彼らは総じて「ノイズ」との親和性が高く、音像は荒削りで歪み、ほとんど宅録にも近いプライヴェートな制作環境から生まれた音楽という点で、「ローファイ」のDIY精神を共有している。

それはもちろん、スメルという“解放区”ならではの成り立ち、PPMを主宰するノー・エイジの(音楽性も含めた)キャラクターと無縁ではない。そして、こうした彼らの存在は、大げさにいえば、たとえば業界全体の流動化が進みメジャー/インディの存在意義が問われ、あるいは細分化やアーカイヴ化の果てにロック/ポップが相対主義に傾倒していくなかで、図らずも一種のカウンターとして特異点を演出しているようにも思われる。
そして、こうした現象はもちろん、ノー・エイジの周辺だけに留まらない。固有名詞を挙げればキリがないが……たとえば、Troubleman Unlimitedからデビューし、昨年XLと契約を果たしたタイタス・アンドロニカス。驚異的なペースで音源を量産するブランク・ドッグス。盟友ダム・ダム・ガールズ(両者が組んだメイフェア・セット)。タッチ&ゴーからのラスト・リリースとなったクリスタル・アントラーズ。“ポスト・ブラック・ダイス?”なダックテイルズ。ニューヨークの注目株ザ・ペインズ・オブ・ビーイング・ピュア・アット・ハート。ヴェルヴェッツの正嫡子クリスタル・スティルズ。その姉妹関係ともいえるヴィヴィアン・ガールズ。新鋭イート・スカル。アイオワのRaccoo-oo-oon(メンバーはレーベル「Night People」を主宰)。スーパー・ヴァケーションズ、ttttttttttttttttttttt、メス・ティース、インテリジェンス、チューン・ヤーズ……etc。ガレージ/サーフ・パンク系からハードコア~ポスト・コア、シューゲイズなギター・ポップや、エクスペリメンタルなノイズ音響まで、個々に音楽性が異なれば、拠点とする活動地もバラバラ。しかしそこには、スメルやPPMに集う顔ぶれと同様、彼らを同じ地平で結ぶことで見えてくるUSインディーズの“新たな地図”のようなものがある。

興味深いのは、それが、大都市でも郊外、主に地方都市を震源地として顕在化している点だろうか。

ここ数年、USインディーズの中心地といえば専らニューヨークだったが、それはスメルやPPMのようにロサンゼルスでもダウンタウン、シアトルやポートランド、あるいはディアハンターやブラック・リップスの両バンド・メンバーによる覆面ユニット、スプークスもまさにを擁するアトランタなど、ローカルな磁場を起点としているところが大きな特徴といえる。そうした大小のコミュニティが点在し、それらが作品/ライヴでの共演やレーベルを介したバンド個人レベルで繋がることで(※この界隈ではスプリット盤やカセットでの自主リリースが一種のファンジンのような機能を果たしている部分が大きい)、燎原に広がる火のように“現象化”する。その構図はまるで、80年代のオリジナル・ハードコアを連想させなくもない。

たとえばノー・エイジに、かつてSSTを立ち上げたブラック・フラッグの姿を重ね見ることは早計だとしても(そこに政治的・社会的な背景はいまのところ皆無なわけで)、そうした彼らの存在が、USインディーズになんらかの地殻変動を促す契機とならんとしていることは推察可能だろう。

そして、同じようなことは、90年代のインディーズとの関係性についてもいえる。

彼らのサウンドが、80年代末~90年代のオリジナルのシューゲイザーやローファイを彷彿とさせることは指摘するまでもない。加えて、そのバンドを取り巻く環境や状況は、サブ・ポップやキル・ロック・スターズの設立に端を発する形で、シアトルやオリンピアといった“僻地”からオルタナティヴの狼煙が上がった90年代インディーズの黎明期の雰囲気と近いものを感じさせて興味深い。当時のオルタナティヴ勃興の背景には、80年代の業界主導的なレコード・ビジネスへのアンチテーゼの意も込められていた(結果、そのオルタナティヴもメジャー側の企業倫理に骨抜きにされるわけだが)。同様に、現在の彼らが、そのDIYな活動スタイルやコミュニティ意識において、レコード産業の現状と一線を画するオルタナティヴたり得ていることは先に触れたとおりである。彼らの側にそこまで明確な意識があるかはわからない。しかし、そうしたさまざまな符合から、そこに時代性や必然性を導き出せるのも事実である。

また、2000年代のインディーズで比較すれば、スメルの存在は、かつてライトニング・ボルトのブライアン・チッペンデールがプロヴィデンスで創めた「フォート・サンダー」(1995~2001年)を連想させる。DIYなフリーのアート・スペース/ライヴ・ハウスという環境面はもちろん、ブラック・ダイスやディアフーフやファッキン・チャップスや日本のメルト・バナナなどさまざまなバンドがライヴを行い、インディーズを横断するコミュニティの場となったフォート・サンダーの機能を、スメルが現在に担っているのは重要な点だろう。そして、10年前のフォート・サンダーがそうだったように、スメルやその周辺の相関図は、その後のインディーズを予見する格好の見立てを提供してくれるはずだ。
あるいは、それこそ近年のニューヨークや、ニュー・レイヴ~ニュー・エキセントリックに連なる最近のUKの若手を含め、ある種の相対主義や折衷主義が前提化した現在のインディーズにおいて、彼らのようなサウンドが“反動的”にも映る事実は見逃せない。さまざまな音楽的影響を反映・昇華するというより、むしろひとつのアイディアやトーンを突き詰めることで生まれる彼らのロック/ポップは、ある種のミニマリズムに近いといえる。

むろん、たとえばディアハンターのように、複雑な音楽的コードをもち、シューゲイザー/ローファイはその一部に過ぎないようなバンドもいる。A・ヴィゴーダは“ヴァンパイア・ウィークエンドへのUSジャンクからの回答”ともいうべき手数の多さを誇る。しかしながら、ノー・エイジが象徴する現在のシューゲイザー/ローファイ勢のサウンドには、多様性よりも強度でねじ伏せるようなダイナミズムがあり、それは70年代のパンクや80年代のハードコア、そして90年代のオルタナティヴ~グランジ勢を彷彿させるという点において、やはり何か因縁めいたものを感じさせずにはいられない、と強調したい。

最後に、ザ・ホスピタルズというバンドを紹介する。

ホスピタルズは、サンフランシスコを活動拠点とする3人組。彼らのマイスペースによれば結成は「2017年」。カート・ラッセルとスティーヴン・セガールを愛し、オフィシャルHPのリンク先はなぜかパトリック・スウェイジのファンサイト……と、つまり素性は不明(元メンバーは現在イート・スカルで活動)。が、昨年リリースされたアルバム『Hairdryer Peace』が英WIRE誌の年間総合3位に選ばれるなど、評価は高い(ちなみギャング・ギャング・ダンス『セイント・ディンフナ』は5位)。

ハードコアやガレージ・パンクを敷衍したノイジーで歪んだ音像は、ノー・エイジやその周辺と通じるともいえなくない。しかしプッシー・ガロアやハリー・プッシーからハーフ・ジャパニーズまで比せられるサウンドは、どうにもこうにも病んでいる。デビュー時のマイブラがバースデイ・パーティやクランプスに準えられたエピソードを連想させるが、こちらはさらにダブやインダストリアル、フリー・フォーキィなジャムまで組み敷き「ノイズ」としての抽象性をアピールしている。

ローファイであることには間違いない。が、シューゲイザーと称する甘美さや爽快感はどうだか!? ノー・エイジが王道なら、こちらは完全なるレフトフィールド。もっとも、大局的に見れば彼らもまた、再興するシューゲイザー/ローファイの一角に数えられて然るべき存在だろう。やはりこの界隈はまだまだ神出鬼没で、興味が尽きない。


(2009/06)

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